LRQA情報誌「Value Eyes」やお客様向けメールニュースにてご紹介したLRQA ジャパン審査員コラムをご紹介します。
2010年04月06日
1997年に京都議定書が採択された後、2000年になってしばらく温暖化問題が具体性をもって論ぜられるようになって来た。国際的には京都議定書の決定事項の一つであるCDM(クリーン開発メカニズム)についての国際交渉が始まり、その認証機関がどのようにあるべきかが日本においても興味が持たれ始めていた。その年の秋頃、ISO審査員のトレーニングを業としている会社から、温暖化問題の認証に関する会議への出席を突然依頼された。召集したのはその会社の社長であるが、出席してみると経済産業省の交渉担当官とそのOBの方もおられ、認証機関としては私が欧州で先進的に削減プロジェクトの認証を手がけているという理由により今回の会議に招請された事を後に知らされた。この交渉担当官から、当時CDM理事会をどのように立ち上げ、認証機関(現在のDOE)をどのように認定すべきかについて相談され、交渉のアドバイスを行った。
この会議はその後「京都メカニズム研究会」と称し、出席者も増え、経済産業省、環境省のみならず、林野庁、外務省、国土交通省、国立環境研究所、日本エネルギー研究所、IGES等、温暖化問題に関与する国の機関がこぞって出席するようになり、2002年中に各認証機関の温暖化認証の為の人材を急ぎ育成する為に、第一回バリデーター・ベリファイヤー養成コースを開催する事が決定され、そのカリキュラム作成とそのコースの主任講師への就任を依頼された。バリデーション(有効化審査)についてはその当時日本でも知見を得ることが出来たが、ベリフィケーション(検証)を知る人は当時日本には少なく、「検証」についての教科書をどのように準備すべきかが頭の痛い問題となった。そこで当時施行されたばかりの英国排出権取引制度に何とか潜り込み知見を得る事が急務と考え、丁稚奉公覚悟で英国に数ヶ月間滞在する事とした。
当時、グループのGHGグローバルマネージャーがエジンバラ近郊の自宅を拠点として検証を行っていた。私もメルローズという小さな町のホテルに宿泊し、お姫様が寝るような屋根付きのベッドの部屋を与えられ、仕事は彼の自宅兼事務所で行う事となった。その家を訪ねて早々、毛布一枚を手渡された。午後6時までは暖房しない主義だと告げられた。二人の元気に遊んでいる子供たちの手足を見るとほぼ霜焼けで赤かった。聞けば奥様も環境NGOの活動家だったという。温暖化防止は痛みを伴うものと実感した。ここで英国全土の約1000社より送られた算定報告書を、毛布をコタツ代わりにしてレビューすることとなった。
(第4回へ続く)
LRQAジャパン 地球温暖化サイト http://www.climate-change.jp/
LRQAジャパン版 GHG検証員の『私の履歴書』です。(計6回)